公開: 2019年7月30日
更新: 2019年7月xx日
1970年代のアメリカ社会には、アメリカ国内だけでなく世界各地で製造を行い、世界中の様々な国の市場で生産物を販売する企業が爆発的に増加しました。それは、生産量が増えれば増えるほど、製品一つ一つの生産コストが低くなって、利益が大きくなるからです。特に、世界で最も安く製品を生産できる国で大量に製品を生産し、製品を高い価格で売れる国で販売すれば、巨大な利益を得ることができます。そのような国際的に事業を展開する企業が増えたため、それらの企業が、その企業の運営のために実施する施策は、時として、米国政府が好ましいとは思わない施策である例が、1980代後半から出現し始めました。例えば、企業の生き残りのため、米国内の工場を閉鎖し、人件費の安いメキシコや東南アジアの国々に工場を移す施策を実施しました。これによって、米国の一部の地域では、大規模な工場を失うため、大量の失業者を抱えることになります。それは、その地域の地域経済を著しく悪化させるからです。
バーレット&スティール、「アメリカの没落」(1993年)、ジャバンタイムズ